神戸地方裁判所尼崎支部 昭和54年(ワ)92号 判決 1980年8月05日
原告
本村春美
被告
大西忠夫
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五二年九月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。
(一) 発生日時 昭和五二年九月二八日午後八時三〇分ころ
(二) 発生地 兵庫県尼崎市常松字丁田九番地
(三) 被告車 普通貨物自動車(神戸四四と三五一五号)
運転者 被告
(四) 被害者 原告
(五) 事故の態様 原告が道路を東から西へ足踏自転車で横断中、南から北へ進行中の被告車と接触
(六) 原告の受傷及び後遺症
(1) 入院一八日、通院七か月を要する頭部外傷Ⅲ型、顔面挫傷、左鎖骨々折、左手左肩左膝部挫傷並びに擦過傷、外傷性頸椎症等
(2) 右受傷の後遺症として、顔面に創痕、色素沈着、ケロイドが、右手関節背側、左肩等にケロイドがそれぞれ生じ、かつ異常脳波が見られ、左耳鳴及びめまいの症状が生じ、原告は、後遺障害七級及び一二級の併合による六級の認定を受けた。
2 被告の責任
被告は、被告車を所有し、自己のために運行の用に供していた。
したがつて、被告は、自動車損害賠償保障法三条により、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任がある。
3 損害
(一) 治療関係費 計一四八万六九一〇円
(1) 治療費 五四万〇七〇〇円
(2) 整形治療費 九一万六〇〇〇円
(3) 通院交通費 一万五六九〇円
(4) 入院雑費 一万三八二〇円
(5) 文書料 七〇〇円
(二) 休業損害 計四一万九九八三円
(1) 昭和五二年九月二九日から同年一二月二七日 六万一五三四円
(2) 同年一二月二八日から昭和五三年一月三一日 四万二一七九円
(3) 昭和五三年二月一日から同月二八日 二万〇九〇〇円
(4) 同年三月一日から同月三一日 八万〇六〇〇円
(5) 同年四月一日から同月三〇日 三万九四五二円
(6) 昭和五二年年末一時金 六万一五三四円
(7) 昭和五三年夏期一時金 一一万三七八四円
(三) 逸失利益 二八二八万九七〇一円
原告の昭和五二年度の年収 一八三万五八六三円
労働能力喪失率 六七パーセント
就労可能年数 四四年間(事故時二三歳で六七歳まで)
ホフマン係数 二二・九二三
(四) 慰藉料 計六〇〇万円
(1) 入通院慰藉料 一〇〇万円
(2) 後遺症慰藉料 五〇〇万円
原告は未婚女性で、顔面等に創痕等が生じて極めて重大な苦痛を被り、また耳鳴、めまいのため就業上も著しい困難が生じている。
(五) 損害の填補 五八七万五五二三円
(六) 弁護士費用 二〇〇万円
4 よつて、原告は、被告に対し、差引合計三八一〇万二八三〇円の損害賠償金のうち、内金として二〇〇〇万円及びこれに対する本件事故日以降である昭和五二年九月二九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実について、(一)ないし(五)は認め、(六)は知らない。
2 同2の事実は認める。
3 同3の事実について
(一)のうち、(1)及び(3)ないし(5)は争わないが、(2)は知らない。
(二)のうち、(1)ないし(3)及び(6)は争わない。しかしその余の部分については、原告の傷害が昭和五三年二月九日に固定したこと、その後整形外科における治癒判定の時期(昭和五三年五月一一日)からすれば、それ以前一定の観察期間がある筈で、したがつて原告が相当前復職可能であつたこと、及び昭和五三年二月までの休業損害額が、症状の快方と共に低減しているのに、同年三月以降のそれが反比例して増大していることから見ると、本件事故と因果関係のないものである。
(三)の点は争う。原告が後遺障害等級併合六級を受けた主たる根拠は、顔面の醜状によるところ、原告の職業が電話交換手で、特に外貌によつて労働能力に影響を及ぼし減収を来たすものではなく、現実に本件受傷に伴う治療による一時的休職によつて減収を生じたものの、その後は従前と変わりのない収入を得ているのであるから、右後遺障害の点は慰藉料の斟酌事由になるに過ぎない。
(四)の点は争う。原告は、後遺障害の認定を受けた後、顔面の整形手術を受け、その結果化粧をした場合には、指適されて注視しない限り第三者に気づかれない程度に醜状の修復がなされている。
同(五)の事実は認める。
同(六)の点は、弁護士報酬契約の存在は認めるが、その金額の相当性は争う。
三 抗弁
1 過失相殺
原告が被告車と接触したのは、原告自身が足踏自転車で道路を斜めに横断するに際し、左右の安全を確認すれば、その附近に街路灯もなく道路が暗い状況にあり、左方から進行してくる被告車を、その前照灯の照射によつて確認可能であつたにも拘らず、これを怠つたためであるから、本件事故の発生については原告にも過失がある。
2 損害の填補
原告主張の填補の外に、自賠責保険から後遺症補償として、原告に二五〇万円を支払つている。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の点は争う。
2 同2の事実は認める。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 本件事故による傷害の発生について
1 本件事故の発生
請求原因1の事実のうち、(一)ないし(五)は、当事者間に争いがない。
2 原告の受傷及び後遺障害
成立に争いのない甲第一号証、第七号証の一と二、第八号証、第一四号証、乙第六号証、検甲第一、第二号証、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告は、本件事故によつて、頭部外傷Ⅲ型、顔面挫傷、左鎖骨骨折、左手左肩左膝部挫傷並びに擦過傷、外傷性頸椎症等の傷害を受け、受傷後直ちに関西労災病院に入院し、三日後に県立尼崎病院に転院し、昭和五二年一〇月一五日までの一八日間入院し、その後同月一六日から翌五三年五月一一日までの間延べ二二回(整形外科分を含む)に亘り通院治療を受けた。
(2) 原告は、右受傷したうち、左鎖骨骨折、右外傷性手関節炎、外傷性頸椎症については、県立尼崎病院整形外科で昭和五三年五月一一日に治ゆの判定を受け、整形外科的側面の後遺障害は生じなかつた。しかしながら、頭部外傷によつて、前頭部から頭頂部にかけて除波が出現し、軽度異常脳波があり、耳鳴やめまいの自覚的な症状が原告に残り、さらに顔面挫創によつて、前頭部中央に長さ五・五センチメートル及び一・五センチメートルの軽いケロイド形成をなす創痕、左眼窩部に長さ一センチメートルのケロイド性瘢痕及び上眼瞼に引きつり、さらに上口唇部上部に四個の小さなケロイド性瘢痕、左前頭部、左眼窩部及び上口唇上部に、本件事故の際に泥が皮膚内に這り込んだことから、顕著な色素沈着が原告に残り、同病院で同年二月九日病状固定と判定された。自動車損害賠償責任保険神戸調査事務所は、同病院作成の昭和五三年二月九日付自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書及び原告と面接したうえ、原告の後遺障害としては、顔面醜状が「女子の外ぼうに著しい醜状を残すもの」として七級一二号と判定し、また軽度異常脳波が「局部に頑固な神経症状を残すもの」として一二級一二号と判定し、結局併合六級と認定した。
(3) 原告は、昭和二九年五月二六日生れの女性で、本件事故当時を含み現在に至るまで、電話交換手として日本電信電話公社に勤務しているところ、右後遺障害による現在の自覚症状としては、寒くなると左肩が痛み、疲れ易くもなり、また仕事上ヘツドホーンを一時間程かけると頭が締めつけられるような感じを受けているが、本件受傷当時の耳鳴やめまいは現在もあるが軽快している。他方顔面醜状の点は、大阪白壁整形外科クリニツクで、昭和五三年四月一三日から二四日までの間入院し、その形成手術を受けた結果、顔面の瘢痕はかなり改善されて目立たなくなつたものの、いまだ色素沈着は残り、外部からはその箇所がすこし青く見える状態にある。
以上のことが認められ、他にこれらのことを左右するに足りる証拠はない。
二 被告の責任について
請求原因2の事実は、当事者間に争いがないので、被告は原告に対し、本件事故によつて生じた原告の受傷による損害を賠償する義務がある。
三 後遺障害による逸失利益について
前認定のとおり、原告は日本電信電話公社に電話交換手として勤務し、本件事故によつて顔面醜状と局部の神経症状による後遺障害(調査事務所査定併合六級)を残したところ、原告は、電話交換手としての年収を基礎に、昭和三二年七月二日付基発第五五一号労働省労働基準局長通達による労働能力喪失率表における六級障害の喪失率に従つて推計した将来の逸失利益を損害と主張するので、この点につき判断する。
1 顔面醜状の点につき
原告の前記顔面における瘢痕それ自体は、一般的にいつて、原告の知的肉体的活動に対し何の制約をも加えるものではないと考えられるので、これによつて原告の労働能力が低下するに至つていると認めることは困難である。原告は、本件事故当時と同様に現在電話交換手として勤務しているところ、成立に争いのない乙第六号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、電話交換手として本件事故前と比して遜色のない給料を得ており、その顔面醜状によつて右職務遂行等に関し具体的に不利益を現に受けているとは認め難いところである。
もつとも、原告において、仮に永い将来のうちには、どうしても仕事の性質上顔面の瘢痕が問題とされる接客業等に従事しなければならないような事態に遭遇するかもしれないとしても、原告の顔面における瘢痕は、前認定のとおり、形成手術によつてかなり回復し、現にあるものも、見る者に対し、異様、怪奇、不快等の念を抱かせる性質のものでもないので、この場合に甘受しなければならない支障があるとしても、これによつて原告に対し格別の収入減を来すものとまでは考えられない。
したがつて、原告の顔面に瘢痕を残すに至つた点は、その労働能力に制限を加えるものとは認め難く、本件においてこの点は慰藉料額の算定に際し考慮を払うべき事情に止まるものである。
2 局部の神経症状の点につき
原告は、本件事故によつて、前認定のとおり、軽度の異常脳波が生じ、現在においても、これに起因すると考えられる自覚症状があり、この後遺障害によつて、その労働能力の低下を来していると認めることができる。
ところで、右通達による喪失率は、その逸失利益に関する損害を算定するに該つて、有力な資料となることは否定できないが、そうだからといつて、肉体的運動能力の喪失率を示す後遺障害等級が確定されれば、それに従つて当然に画一的に、財産的価値を含む経済的労働能力の喪失率が決定され、逸失利益が算定されるといつた性質のものではない。損害賠償制度は、そもそも被害者に生じた現実の損害を填補することを目的とするものである以上、被害者の現実の稼働状況を基礎として推計される具体的な労働能力(稼働能力)の喪失を損害とされなければならない。
この観点から本件を見ると、前認定事実及び前掲乙第六号証からすれば、原告は本件事故によつて前記の傷害を受けたが、その後従来どおりに日本電信電話公社に勤務し、従来と同様に電話交換手の仕事に従事し、本件事故による労働能力の減少によつて格別の収入減を生じていないものと認められ、また弁論の全趣旨によれば、原告が右職業を任意に退職しなければ将来も同様であろうことが認められる。このような場合、原告に前記労働能力の喪失・減退があつても、電話交換手の収入を基礎とする逸失利益は、その減収を来さない以上、それを損害と認めることができない。
また右職業以外の収入の減少を、原告について認めることのできる証拠もなく、さらに原告が将来転職しうる可能性を失つた損害を考えるにも、その算定しうる資料もないうえ、原告の後遺障害は神経症状であるから、時の経過による症状の軽快の可能性があり、将来の稼働全期間に亘り継続するものとも断じ難い。
したがつて、原告の局部神経症状によつて、原告に逸失利益に関する損害が生じたものとは認めることができないが、ただ原告の日常生活及び仕事上に多少の不便さがあり、当分の間はそれが継続するであろうことは肯認できるので、これは慰藉料額の算定の際に考慮すべき事情としては斟酌されるものである。
四 損害及びその填補について
1 前記逸失利益の点を除くその余の原告主張の損害、即ち治療関係費一四八万六九一〇円、休業損害四一万九九八三円、慰藉料六〇〇万円(この点については、前記後遺障害を考慮し、本件証拠にあらわれた諸般の事情を斟酌しても、原告主張の金額以上に慰藉すべき損害があるとは認められない)の以上合計七九〇万六八九三円については、本件事故による原告に生じた損害と認めうるとしても、被告が原告に対し本件事故による損害賠償として、既に八三七万五五二三円を支払つたことは、当事者間に争いがないので、結局のところ、被告は原告に対し、本件事故によつて原告に生じた損害を既に補填していると認められる。
2 弁護士費用の点は、本訴提起時には、原告に対する損害は賠償ずみである以上、これを認めることができない。
3 以上のとおりであるから、被告の過失相殺の主張を判断するまでもなく、原告の被告に対し請求しうべき残余の損害はないことに帰する。
五 よつて、原告の本訴請求は理由がないので、失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 安藤宗之)